出産

一人になってから一日ぶりの夕食をおいしくいただいた。少ししか食べられなかったけれど。メニューは野菜の肉巻きとかだったかな?何だったか忘れてしまった、、、。

そのうちに便意が来たのだけれど我慢して過ごしていた。。。でもたぶん10時頃?にはとうとう堪えきれずにトイレへ。万万が一を考えて、前をティッシュで押さえて用を足して、「良かった…たぶん感触的には出てない。でも念のため目視で確認しよう」などと思いながらティッシュを使っているうちに自動洗浄してしまう…

出た感触はなかったから大丈夫と思ったものの、その後腹痛が軽くなったので急に不安になりナースステーションへ駆け込む。

当直の看護師さんには自動洗浄にはならないはずだけど…って何度か言われたけど、私が出るのにもたついているうちに2回も流れてるし!もし出ちゃっていたらどうしようと動揺している私を見て、看護師さんが内診してくれた。大丈夫とは思うけど念のためということで、先生がエコーでも確認してくれた。破水をしてしまっているせいか経腹エコーではよく見えず本当に焦ったけれど、経腟エコーでまだ出ていないことを確認してくれた。良かった…なんとなく腹痛も戻ってきた気がする。

それにしても、自動洗浄なんて危ないな…

その後トイレに行ったときは隣の個室に入ったけれど、やっぱり自動洗浄してしまう。まさか全部の個室が自動洗浄なのでは?!

 

日曜の朝になったら腹痛が収まっていた。薬が切れたのかな。そして、この朝の診察時だったかバルーンを入れようと試みたようだけど、まだ子宮口が狭くて入らなかった。このまま進展なかったらどうなっちゃうんだろうという先が見えない不安。とりあえず、4回目の薬を処方されまた陣痛が始まる。

この日2回目の視察でようやくもうすぐかなという雰囲気になった。破水からしばらく経っているし、赤ちゃんがきれいに出てきてくれるか心配だった。

部屋に戻り横になってしばらくすると、出血した感触があり飛び起きる。直ぐにナースコールを押し、看護婦さんに連れられて診察台へ。この時やっと赤ちゃんが出てきてくれた。特にいきむとかでもなく、先生がクスコ等を使って出してくれたに近いのだと思う。自分の力で産んだ感触はないけれど、おそらくへその緒か何かが太もも付近に触れている感触はあった。

先生や母を含めた看護師さんたちは赤ちゃんを見て、男の子かな?という話をしていた。先生はさらに、「この感じだとやはりなくなってから少し時間が経ってるかな…」とも言っていた。きっと状態が良くないのだろうから私は会わせてくれないだろうと思っていたが、先生は膿盆をあっさり見せてくれた。ピンセットでつまみながら臍帯や胎盤を説明してくれる。その中に赤ちゃんが入っていた。ピンセットでしか扱えない程溶けてしまっていたのだろう。こんなになるまでお腹の中にいることになってしまってただ申し訳なかった。夫はナースステーションの中でさっき私が会わせてもらった赤ちゃんに会い、説明を聞いたようだった。

部屋に戻った直後に子宮収縮剤を飲んだのかもしれない。急に骨盤回りが痛み出し、どうにもならなくなっていた。夕方にはもう起き上がる気力がなく、ひたすら布団の中でのたうちまわり、ロキソニンと座薬の力を借りることに。冷や汗?がすごくて着替えも頂いた。夫はその後役所に死亡届と埋葬許可を取りに行き、そのまま帰宅。世話を焼いてくれる人もいなくなり、一難去ってまた一難だった。夜、「お骨が残るのだったら名前を付けてあげて」とメールしたら「元樹でどう?」と帰ってきた。異論なんてある訳がなく、赤ちゃんの名前が決まった。

そして、退院は翌日の月曜日、火葬は火曜日に決まった。

難産?

翌朝、7時に処置があるとのことで、6時半過ぎに起きて身支度をする。

この朝はお産が立て込んでいたようで、朝の処置が遅れていた。

そして楽しみにしていた朝食がないことを知ってショックを受ける。。。それらなら昨日の夕飯もっと食べればよかったよ…

母はお産対応のために早く出勤していたようで、あきを連れて結構早い時間に部屋に来た。

最初の診察の時だったか分娩室に入る時、分娩直後と思われる点滴を付けた若い方とすれ違った。そして、分娩室に入ると生まれたてホヤホヤの赤ちゃんがいた。。。

人によっては我慢ならない状況なのかもしれないけれど、私はその赤ちゃんを「いいな~ちっちゃくてかわいいな~私ももう一度ちっちゃい赤ちゃん抱っこしたいな~」と暖かい思いで見ていた。私は私、他の人は他の人と思えていた。それにあのお母さん若そうだったし。

朝には満室だったようで向かいの和室にも茶髪の夫婦が入っていた。私だけなんでこんなことに…と落ち込むようなことはなく、「いいな~私もまた赤ちゃん産んで入院できるかな~」と思えていたのが我ながら意外だった。

 

そして私のお産は全然進まず、子宮口はまだ開いていないようだった。

部屋に戻り陣痛促進剤?の錠剤を飲んで陣痛を待つ。直ぐに少しずつお腹が張り出すが、少し痛いなと思うぐらいでまだまだ軽い。

早ければ昼頃には出産と言われたので、昼過ぎには終わるつもりでいたのだけれど。

10時過ぎ夫と連絡がつかないと父から電話。私も電話してみるが全然でない。嫌な予感がしたが、それは的中。寝坊。信じられない。

寝坊された結果、陣痛をこらえながらのあきの相手をする。これはなかなかする気力がなく、基本放置プレイだった。父はおむつや着替えを持ってきていなくて、こんな日に限っておもらし…。忙しそうな日だったのに看護師さんたちに迷惑をかけっぱなしだった。

 

その後、お昼前、お昼過ぎ、夕方と診察に呼ばれるが進まない。

昼過ぎの診察では、しびれをきらした母に子宮口を思い切りまさぐられる。

すると「外子宮口は開いてるけど、内子宮口全然開いてないよガチガチだ」と言われる。どうやら昨日入れたラミナリアが内子宮口までしっかり入っていなかった模様。母に助けられた。good job! 母。

夕方に改めてラミナリアを入れられ、もう少し様子を見ることに。ここで破水したようだった。そして、お腹が空きすぎて夕食の許可をもらう。

 

寝坊の夫は夕方にやっと登場。

本当に仕事が忙しいのもたいがいにしろと思う。

そしてこんな時くらい新幹線に飛び乗れば良いのに、在来線で来たのも本当にどうかと思う。

お昼は調理師さんが夫の分を出してくれていて、着くなりそれをいただいた。

この日もからっ風が吹く寒い日だったが、あきの面倒を見切れなくなって夫とあきは途中で近所の本屋さんまでお散歩。ソフィアの絵本を買ってもらって帰ってきた。

 

夕方、勤務を終えた母は夫とあきを連れて一緒に帰宅し、私はまた病室に一人。

一日ぶりの夕食を口にするもののお腹が張っているため沢山は食べられず。

そして夜、事件発生。

入院まで

診察室を出て会計を待っている間に夫にメールで状況を報告。

先生や看護師さんは紹介状を持って行ってもすぐに産院が受け入れてくれるかどうかものすごく心配してくれて、ダメだった時はどうしたらよいか何度も説明してくれる。

大丈夫だよ。だって母が助産師として働いている産院に行くのだから。でももう言うのも面倒になってそれを伝えずにただ話を聞いていた。

会計を終え外に出ると近くの路地に行き、仕事中の母に電話して今後の相談をした。

母は「え~なんで~?!」と言いながらも、自分の勤務予定と合わせて1/26金曜日に入院しらた良いこと、月曜日からは仕事もできること、など知らせてくれる。

こんな時悲しんで大騒ぎされるとこちらまで動揺しそうなので、事務的に現実的な話を進めてくれるのはありがたかった。

明後日入院となると、明日の仕事はどうしよう…、と考えながら都心で氷点下を記録した大寒波襲来中の寒空の中自転車で帰り、保育園にあきを迎えに行った。

帰宅後、大学のバレー友達にLINEで伝えた。これからどういう心境になるか想像もつかず、ココロが乱れないうちに伝えてしまいたかった。

Mがすぐに電話をくれる。「そんなことってあるんだね…」と泣いてくれて、こちらもこらえきれず声が震える。Mはあきが生まれた直後にも電話くれたことを思い出す。本当にありがたい存在だと改めて思う。

そして電話を切ってから少しの間涙を流して泣く。

でも泣いている姿をあまり子どもに見せたくないし、ずっと泣いている暇なんてない。

その日の夕飯はどうしたか覚えていないけれど、布団に入ってあきを寝かせてからはスマホで検索魔になっていた。これから何をしてどうなるのか。。。

クリニックに行った直後は、翌日の仕事が外出予定だったこともあり出勤しようと思っていたけれど、口頭で上司に伝えるのも抵抗があった。いろいろ考えた末、眠る頃には、「メールで事情を伝えて明日から仕事を休ませてもらおう」という気持ちになっていた。

そして、検索しているうちに、死亡届や火葬が必要なこと、仕事は6週間の産後休暇を取らなければならないことを知り、赤ちゃんが死んでしまったことと同じくらいの衝撃を受ける。でも、こういった諸手続きのことも考えなければならず、ある意味では気を紛らわせることができた。

 

翌日はさも出勤するかのようにあきを保育園に預け、帰宅後は職場にメールしたり、時々泣いたり、ぐちゃぐちゃの家の掃除をしたり、検索魔になったりして過ごす。詳細はもうよく覚えていないけれど、泣き暮らすということはなかった。

 

金曜日昼頃、あきと電車で実家に帰る。

その日は入院にならないと聞いていたけれど、電車に乗ってから「そのまま入院だから」と母から電話がくる。おい。荷物まとまってないよ。

駅にはパパが迎えに来てくれて、BookOffに寄って本を買って病院へ行く。 

病院受付では見知った顔の方が対応してくれる。

6週間の産後休暇を会社に隠して出勤できないものかと画策していた私は、受付で出産一時金の書類にサインする時に「出産一時金の申請をすると会社にバレるかも」と少しゴネる。事務の方が「この書類は会社を通さないから大丈夫じゃないか?」と言うので、半ば諦めモードでサインする。

「死産したら産後休暇で6週間休まないといけない」ということについては、病院受付も母も看護師さんたちも皆よく知らない模様。死産なんてなかなかないことで、人事担当者でも産休発生に気づかないことがあるようだし、医療従事者が知らなくても仕方がないのかもしれない。

診察は若先生。エコーで見る限り14週くらいの大きさで止まっているとのこと。クリニックで言われたのと同じ。やっぱり胎児ドックの時まで頑張って成長してくれて、最初で最後の元気な姿を見せてくれたのかなと思う。 

あきはパパに連れて帰ってもらった。町長選挙運動中で忙しくしているパパに連れられ選挙事務所に行き、おばちゃんたちに遊んでもらっていたようだ。夜もパパと一緒に眠れたみたいで安心した。

2Fに上がると病室は奥に入った和室。新生児の声が届きづらい場所みだいだ。民宿みたい。この日も寒くてからっ風がすごかったし、角部屋で窓が多くて寒かった。

出産に向けての処置は、診察室ではなく2Fの分娩室で処置をした気がする。

まずはラミナリアで子宮口を広げる。 

それとクラミジア検査の陽性が出るというハプニング発生で薬が処方される。。。

処置後、部屋に戻ってテレビを付け、エアコンをMAXにして布団に入る。あとは翌朝までのんびり。

しばらくすると顔なじみの調理師さんが自ら夕食を届けてくれる。「残念だったねぇ…少し早いけど食べて」などと言っていただいて、入院しても一人でさみしい思いをしなくて良い私の環境は恵まれていると思う。

お魚のホイル焼きなど盛りだくさんで美味しかったけれど、電車であきとおにぎりを食べてしまったのでお腹がすいてないし、ラミナリアでお腹が少し張っていたのであまり食べられずに結構残してしまった。

そして「前回はあきを産んだ後ヨレヨレになりながら入ったのにな…」と思いながらシャワーも済ます。

この夜はテレビをつけつつ、ひたすら検索魔、そして時々泣く。

夫には、翌日の昼までに来るように、できれば菓子折りでも買ってきてね、とメールする。

夜9時頃に人生初となる睡眠導入剤を飲み1時間後くらい?に寝る。

16週1日

2018年1月28日、体外受精に挑んで2回目の移植で授かった子を死産しました。

悲しい内容ですが、忘れないうちに書いておこうと思います。

 

2018年1月10日(水) 14週1日 胎児ドック

仕事を早退し、妊婦検診に通うことに決めた近所のクリニックで実施している初期精密超音波検査(胎児ドック)を受診。

担当はやさしそうな女性の先生。赤ちゃんに話しかけるように超音波している。

大きさも適当。心音もしっかり聞こえ、首の浮腫や鼻骨も問題なかったようで一安心したものの、心臓のカラードップラーでちょっと問題がある雰囲気に。。。

かなり時間をかけて診てもらったものの、手の位置が?悪く確認したい所がよく見えないのと、まだ赤ちゃん8.5cmだから、、、ということで再診になる。

2週間後にはちょうど妊婦検診の16週のため、16週1日での検診予約を取って帰宅。

 

2018年1月24日(水) 16週1日 妊婦検診

この日も仕事を早退して妊婦検診へ。

このクリニックは土曜の予約が取りにくいし、近所なだけあって同じ保育園のママさんらしき人も見かけるので嫌だなと改めて思う。

担当は前回と同じ先生。当たり前か。

本当になんとなく最悪の事態を覚悟しつつ診察台に横になって超音波開始。

始まるなり「あれ?」と思ったけど先生が黙々と手を動かしてるし、私も私で「赤ちゃん寝ているのかな?」と良い方に考えてしばらく黙ってみている。

でもカラードップラーで疑問が確信に変わる。赤と青の色がまばらにしか映らない。。。

「先生、もしかして赤ちゃん心臓動いてない?」というようなことを自分から聞いた。

先生もそう言われるのを待っていたように思う。

「うん、そうだね。。。」

と先生からの返事を聞いた後に具体的にどういう話をして診察台を降りたかは覚えていないけれど、私は意外にも結構淡々としていて涙が出そうにもならなかった。

ショックであることは間違いないのだけれど、茫然として思考が働いていなかったのかもしれない。それと、なんとなく、、、本当になんとなく嫌な予感を感じていて、うっすらと覚悟ができていたのかもしれない。

その場ではむしろ先生や看護師さんがすごく気の使って接してくれている事への申し訳なさが大きくて、暢気にも「この情況だと取り乱して涙する人が多いんだろうな…」などと考えていた。

診察室の椅子に戻り、「エコー写真どうする?」と聞かれたけれど、出されるがまま数枚いただく。悲しい写真だしほしいわけじゃないけれど、「いらない」とは言えないでしょ。先生や看護師さんと出産や手続き等の話を終え、出産する産院への紹介状を頂いて終わり。検診にはもう来ない。。。

やっぱり待合室でも涙することなく、とにかくクリニックから早く出でこの情況から逃げ出したかった。

前回の胎児ドックで心臓の何が気になっていたのかは先生に聞けずじまい。。。

16週1日の子宮内胎児死亡。2回目の妊娠の結果。

四十不惑を目指して

今日でほぼ42歳5ヶ月。

現在思わぬかたちで6週間の休業中。。。

この機会にブログを始めます。さあ、どこまで続くか?!

 

ブログに記録する主な内容は、、、

・子育て記録

すでに記憶がない3歳の娘(あき)のこれまでの育児。

全て忘れ去ってしまうのもさみしいので、せめてこれからの育児記録はここに残すことにします。

・妊活記録

第2子の妊活記録。

私もネットで情報収集する中で、他の方のblogを参考にするなどだいぶ助けられていました。

このblogを公開することで少しでも誰かのお役に立てればと思います。

 

現時点での大きなテーマはこの二つ。

最近ココロがくさくさしてしまいがちで反省しきりですが、

このブログとともにこれからの40代を後悔なく楽しく過ごせますように。